お疲れ様0系新幹線

「0系新幹線は・・・・」

どんなに高性能を誇るものでも、寿命はあります。寿命が来たら、使用するのは止めるべきでしょう。
もったいないから、、まだ使えそうだから、、といって、無理に使用したりすると、原形をとどめないくらい悲惨な姿になってしまうか、使った人間に危害を加えてしまうかで、ろくなことになりません。

先日東海道新幹線から、0系車両が引退しましたが、この0系、どういうわけか、山陽新幹線ではまだ「現役」で走り続けるそうです。
2007年ごろまで使うらしいのですが、私は0系はもう全て引退させるべきなのではないかと思うのです。
十分その役割は果たしたとして。。。。

何故、そう思ったのか?それはこのほど起きた、山陽新幹線でのトラブルに起因します。

9月24日の午後8時ごろ、台風の被害により、山陽新幹線の「徳山−小郡間」で、停電騒ぎがありました。何を隠そう、、、、私はこの騒ぎに巻き込まれた乗客の一人でした。

私が乗っていた電車の7台前の「ひかり号」が停電により、ストップしてしまいました。停電の原因は、台風の余波により、飛んできた木のツルがパンタグラフにひっかかったことだそうでが、JRは、停電の原因を調べたり、停電車両に乗っていた乗客を救済しようとするのに、時間がかかりすぎたため、停電区間に止まっていた後続の電車の中に、バッテリーが上がってしまったものが数本ありました。
バッテリー上がりを起こすと、自力運転ができなくなってしまうのです。
自力運転できなくなった電車は、充電して動けるようになった電車に連結して牽引されながら、動かしたそうです。
高速を誇る新幹線が、連結&牽引とは、情けない話です。

停電はともかくとして、バッテリー上がりなど、基本的なことがどうして予測できなかったのでしょう。JRの対応のまずさに、憤りを感じました。
ちなみに、私が乗っていた車両は、停電にもならず、バッテリー上がりもなく、無事といえば無事だったのですが、その停電騒ぎのせいで、新幹線の中に12時間近くも閉じ込められてしまいました。

バッテリー上がりを起こしてしまった車両は、「ひかり」及び「こだま」でした。
山陽新幹線では、「ひかり」の一部と、「こだま」は確か、0系車両だったような気がします。この0系、まだ走れるとはいえども、バッテリーの消耗は、他の系列の車両に比べて激しく、充電にも時間がかかるそうです。

事故はいつ何時、起きるのか分かりません。長時間の停電に耐えられないような、そして充電に時間がかかるような車両に、安心して乗ることはできません。
汚点を残す前に、いい思い出とともに、古いタイプの車両は、引退させるべきでしょう。

そう「夢の超特急・初代車両0系」は、線路からは消えても、今までの沢山の利用者の脳裏から消えることはないのですから。これ以上、酷使するのは、電車が可哀相です。
そんな気がする今回の「事故」でした。

余談ですが、今回の事故で分かったことがあります。特急料金は、到着予定時刻から2時間経過してもまだ到着できないものについては、無効になり、払い戻ししてもらえます。ただ、、、今回、出発地から目的地にたどり着くまで、16時間近くかかってしまったんです。普通なら2時間30分で済むところを・・・・。

特急料金払い戻しは当然ですけど、乗車料金も無料にしてほしいくらいでした。




「お疲れ様!」

1999年9月18日をもって、東海道新幹線から0系車両が全て姿を消しました。
あの先の丸い初代の車両です。

夢の超特急として、長年に渡り、東京−新大阪間の「足」となって、活躍してきた新幹線0系車両、、、、、私は0系車両「引退」の数日前に、その「顔」をとある駅で見ることができました。そこには「長い間ご利用ありがとうございました」と書かれてありました。その文字を見て私は、なんだか鉄道マニアでもないのに、感慨無量になってしまいました。

もう、東京−新大阪間で、先の丸い愛敬のあるこの顔は見られないんだなぁ、、、、
と思うと、一抹の寂しさが込み上げてきました。
でも、、、確かにその0系車両は、だいぶ「お年寄り」になっていました。
老朽化もかなり目立っていました。

「長年働いたから、もう世代交代じゃ!隠居させてくれい!」

そう言っているかのようでした。
私はそんな0系車両に向かって、心の中で
「お疲れ様、今まで沢山の夢をありがとう!ゆっくり休んで下さい」
とつぶやきました。

東海道新幹線から0系車両は、姿を消してしまいましたが、その長年の思い出は、きっとたくさんの人の胸と脳裏に焼き付いていることでしょう。本当にお疲れ様でした。

尚!この0系車両ですが、山陽新幹線の区間(新大阪−博多間)では、2007年頃まで、「現役」で活躍するそうです。
2007年の、本当の「引退」の瞬間、その時はどんな想いで、迎えるんでしょうね?