宇宙からみた環境と価値観
これから、神の存在、その修行と使命について語っていきます。
まずは序文として、与えられているものを比較して、イメージをしていくことから始めることにします。
生命というものを考えてみましょう。
宇宙は地球系、太陽系、銀河系、と大きな枠組みになっていきますね。
反対に、地球、人間、細胞、と小さな枠組みとなっていったらどうでしょうか。
それぞれを肉体として、生きていると考えたとき、意識体だとしたとき、大宇宙の心というのも存在することがイメージできます。
>もうしわけないんですけど、ここでイメージすることも(私にとっては難しいけれども、)できますが、下の議論とどんな関係があるのかよくわかりませんでした。
>そこのところ詳しく言っていただけたら良く分かるようになると思うんですけど。
大宇宙の心を自分のできる範囲で認識してもらうために最初にこうした話をもってきました。
神の存在のうち、この序文の後に続いての根本神と神々の位置づけをするときに認識を地上の人類の視点だけでなく、様々な視点の認識がありうるということを発想してもらう準備です。こちらは空間的な説明になっています。
さて、この地球上での人類の価値観というのは宇宙全体として考えて
宇宙の共通認識であると思いますか。
>これは「宇宙の共通認識」があるということを前提とした上での話です。「宇宙の共通認識」なんてものが本当に在るのかどうかわからないし、そもそも、「宇宙の共通認識」という言葉が何を意味しているのかもよくわかりません。
>「宇宙の共通認識」という言葉の詳しい説明が聞きたいです。それがわかれば私にも良く分かると思うんですけれど。
ここで「宇宙の共通認識」としているのは、冒頭の「大宇宙の心」から「細胞の心」まであるところの心および、認識の内容のうち、一貫している共通の認識の部分を言っています。細胞にも大宇宙にも普遍的に持っている価値観のことです。
その普遍的な価値観があるという前提は細胞は人間に内包され、人間は地球に内包され、地球は宇宙に内包されているということを前提にして、それぞれ心があるとして、その内容がどうなのかというものです。
ここでは質問という形をとっていますがある程度、心は人類だけがもっているわけではないということを次の機会に話をする前提としています。
>たとえば、「人類の価値観が宇宙全体では通用しない」という考え方は典型的な人類的価値観(ものの見方)です。「宇宙の共通認識」が人類にはわからない、通用しないのであれば、
>さて、この地球上での人類の価値観というのは宇宙全体として考えて
宇宙の共通認識であると思いますか。こういう考え方こそ人類的な考え方にとらわれた考え方だと言えます。
>人類が人類的考え方しかできないのであれば、人類が「宇宙の共通認識」についてなにかを言うこと自体間違いではないのでしょうか。
ここで違和感をもってもらって「人類の価値観」がすべてではないということを念を押すと同時に、私の人間的価値観の立場からでも人間的価値観以外の価値観があるだろうと言っています。
>ここではさも「私には「宇宙の共通認識」がわかる。それが人類の認識と違うことも知っている。」と言っているようにきこえますが。
立場としても、「宇宙の共通認識」を(人間的価値観としてはどの部分とまでは認識できないとしても)内包していて、人間的価値観以外の価値観を感じとっているということです。
(私は人間だから、この表現は矛盾しそうですが、ニュアンスで受け取って下さい)
他の星に人類に相当する方々がいるとして地球の価値観が通用するかどうかはわかりません。
>わからないと思います。
>というか、「わからない」ということさえ言えないと思います。この、「「わからない」ということさえ言えない」ということがとても重要です。
人類が人類以外の価値観が理解できるか、人類以外の価値観を知っているかということですが、例えば宇宙人と(霊的感覚で)話をしたけど価値観が違っていたということはありうるということです。
(なお、私ができるわけではありませんが)
人類の価値観だけに限定した価値観でもっては「わからない」ということさえ言えないというのがその通りです。
内容によってその答えはYESの部分もあり、NOの部分もあると思います。
私たちに今、与えられている環境は、1日が24時間という時間と、
時速数キロから数十キロで歩いたり走ったりできる肉体、言葉によって会話して意志を伝える能力、など、地球上でのみ与えられている環境があります。地球でなければ、そうとは限らないでしょう。そして、地球に限ってみてもそれは言えることです。
例えば、今の時代と日本という国。同じ時代でも地域が違えば環境は違うし、地域が同じでも、時代が変われば中身は変わります。
>時間(感覚)の違い、空間の違い、肉体の違い、コミュニケーションの違い、住んでいる星の違い、時代の違い、国の違い、環境の違い、それらすべてにおいて、「違うでしょう?」と言わると、「ああ違うんだろうなあ」と、想像がつきます。
>想像がつく、ということが非常に重要なのです。
>想像がつくという事は説明が出来る、少なくとも、私たち一般と共通の、なんらかの認識をもつことができるということです。そういう違いは単に相対的なちがいです。そういう違いなのだから、それについてできるところまで説明すればいいのです。このことにはどんな神秘もありません。
>説明もせずに、特別に、神秘的に、超越的に、特権的に、「ちがうのだ」と言ったところで、それはどんな意味ももちません。
まずはあえて詳しい説明をせずに、実はどんな質問がくるか楽しみにしていたのです。
そしてそれを聞いて、こういう可能性がある、こういう予想ができるということを対話にして、最小限の共通認識としたかったのです。だから、この序文では「YES」or「NO」での抽象的な内容としました。
これで質問がなかったら、その「他の人はどう考えるか」をいったん抜きにして話を進めて、今やっている説明をこの序文をサンプルにしながら展開していくところでした。
>わたしは、「神々」や「ユートピア」よりむしろ、こういう事をすんなり、いきなり話せてしまうあなたに興味があります。
ありがとうございます。