教えを伝えるということ

方法として八正道を示すことも方法だと思いますが、正見だけ伝えることでもまずはいいと思います。

特に心掛けることは、解決してあげることではなく、自分で解決できるようにしてあげることです。

どうして心の病気になっているか。
それはその原因があるからです。
それをその当事者にただ結論だけ示したところで、それが理解できるならば、その病気にはならないのです。

>結論だけ示すとはどういう事でしょう?
>病気になるには、それだけの原因があるということから伝えました

だから、原因があることを認めていないから、その病気なのです。
もっと正確に言うなら、原因があること自体を認めたくない。
それを認めろと言うのだから、反発があるに決まっています。
私が言っている結論ではないものというのは、その方が自分でその原因を気が付くようにしてあげることを言っているのです。

ですから、あなたの悪いところはどこですかと聞いて答えられる人は、もうその病気から回復しているのです。
そうでない、悪いところを認めない人に対して、原因を自分で探りなさいとは言っても無理です。
言うと逆にわかっているけどどうしようもない。
そう返事が来るのです。それを返事することさえ苦痛に感じているのです。

だから、あなたは私の文面から、それを感じとらねばならなかったのです。
正見だけ伝えたらいいと私は言いました。
それは、相手に対してだけではなく、自分に対してのことでもあるのです。
それを理解して、正見とは何か、それを私に返事をください。

>ものを正しく見るには、まず、自己の立場を捨て、第三者の立場でモノを眺めることです。
>ということですね

一面としてはそれも説明としてはできるでしょうが、それだけではないのです。
「自己の立場を捨て」というのは、自分の利得を考えないという意味だけではありません。
「第三者の立場」であるだけでもありません。

第三者の立場というのは、この場合、守護霊の立場です。
その守護霊は、仏、神から指導を受けている存在でなくてはならない。
それが霊的にもこの世的にも適合したものでなくてはならない。
もし、どうしても相反するならば、霊的な面を優先しなければならない。
しかし、それで問題が起きるのであれば、つまり惑わしを受けたならば、霊的な側面はいったん無視して、理性的に解決するという安全策も用意しなければなりません。

それはいつでもできなくてはなりません。
自由自在に霊的な感覚と理性的な感覚を駆使できなくてはならないのです。
これは霊的な側面です。誰でもが必要な方法ではありません。
危険だからです。
そうした具体的なインスピレーションが来なくても、何らかの形で守護霊は支援してくれています。それに感謝することです。

それを前提としたうえで、正しい信仰が必要です。
正信です。これも正見に含みます。
疑いきれないものだけが真実というのは、それだけの認識力を身につけてそれからすることであって、その人に応じて認識できる内容は異なります。
その中で最善を尽くし、決意し、自らの責任は自分で取るという姿勢、その姿勢での仏、神への信仰、自分への信頼が必要です。
それからでなければ、真の意味で法を説くことはできません。
これは自らの姿勢です。

次に、その認識力で相手を見なくてはなりません。
その場合、厳密にいえば、本来の相手の在り方、実際の相手の在り方の両方を認識できなくてはなりません。

魂の傾向性を
1、自分の本来の在り方
2、自分の実際の在り方
3、相手の本来の在り方
4、相手の実際の在り方

これをすべて認識していることが正見となります。
順番もあります。この順番でなくては正見になりません。
そして、正思、正語と続きます。これも順番があります。

実践して、本当の意味で伝えるためには、それをやってみせることがヒントになるのです。
今ここで語っている内容を苦しんでいる方に語って、すぐ理解できると思いますか。
残念ですが、無理なのです。自分で掴まなくては無理なのです。




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