信仰の対象とその目的について

人が信仰を必要とするのは、人が霊的存在だからということができると思います。
潜在意識と表面意識があり、潜在意識には未知なる可能性が秘められていると感じるからです。潜在意識を霊的性質と言ってもよいのではないかと思います。
その未知なる部分を最大限に引き出すために肉体と心の関係を知ること、心についてはその傾向性の制御の仕方が必要となってきます。
また、ひとりで生きているのではないがゆえに、調和、基準というものが必要となってきます。
各人の心について自由が保証されていますが、自由と自由が相克する環境においては不自由が生まれます。
理想を示すものがあれば、価値基準があれば、それに従うことである程度その自由を保証できるところとなるでしょう。
その基準を信仰と捉えてもいいのではないかと思います。

私は幸福の科学の会員ですが、幸福の科学の会員という肩書きがあれば天国にいけるというわけでもなく、そうでなければ地獄にいくというわけでもありません。
天国に行くべき人が天国へ行き、地獄へ行く人は行きます。当然ですが。

ただ、そういう法則はあると思うのです。それを示しているのが宗教であると思うのです。
もし、現状ある宗教団体などで不足、不満があるならば、自分でそれ以上のものを打ち出すべきです。

人には生まれてきた目的と使命があると思います。
自分で道を切り開く人もあれば、それを助ける人もあるでしょう。
それが幾重にも組合わさって人生が出来ていると思います。
人々が社会を形成している以上、社会へ影響があるのは当然でしょう。
職業としてみれば、宗教家は一番厳しい職業でしょう。
なにしろ、その教えの影響を受けた人々に対して責任が発生するのですから。
その人々が天国へ行くか、地獄へ行くかがその人の評価を決めます。
もしそうなったらどうするか。
小さな責任範囲かもしれませんが、私であっても私の影響を受けた人の責任は私が取らなくてはなりません。
信仰の対象とその目的は自分の責任において決定しなければなりません。
天国に行きたかったら天国に行くような人を増やすことです。




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