|
黄金の法(幸福の科学出版)
第一章 黄金の人生を創る
より要約
一日を黄金に変える魔術
過去には後戻りをすることはできない。反省の材料としてあるだけである。
未来は未知数であり、関与できるのは現在だけである。
だれもが平等に一日の連続という時間を得ており、日々を着実に生きていくしかない。
一日一日がすべて黄金に変わってゆけば、人生全体も必ず金色の光を放つ。
人間は時間の下に平等であり、時間の使い方次第で人生の質は変わる。
|
時間のなかの真理
考えつく限りのすべてのものを、すなわち、善も悪も、美も醜も、真も偽も、ありとあらゆるものを包含しつつ、時間というものは流れているのです。
時間というものは、単に3次元の時計によって計られるものではありません。
過去・現在・未来の時間を一望できる能力があれば、人類の未来がかなり明確にわかってしまうこととなります。
|
想念帯の秘密
釈迦は業(カルマ)の法則、イエスは「播いた種は刈り取らねばならぬ」、現代の物理学の法則を援用して「作用・反作用の法則」として表現する、心の傾向の記録を「想念帯」としてその考察を行う。
心は、因果応報の結果だけで形成されたのでも、道徳としての教育だけで形成されたのでもなく、心の法則の基本に従って形成されていると考える。
3つの基本命題(テーゼ)
1、親和性(愛や慈悲)があれば増幅され、排斥性(執着や貪憤痴)があれば避ける
2、集中による創造(目的がある)と、拡散による破壊(目的がない)
3、周波性があり、同様の意識に感応する
心の傾向は、この3つの基本命題を時々刻々と過去・現在・未来に積み重ねてできるが、心と行いを反省し、本来の在り方へ戻すことで、「想念帯」を修正することができる。
|
|
金色に光る未来
理想:
愛や慈悲の想い、行い
問題:
否定的な言葉、他人を不幸にするような想い、行い
怒り、情欲、他人の欠点や粗を探す、
臆病、卑怯、取り越し苦労、持ち越し苦労、不安
|
真の自己実現
願いを具現化、具象化して、視覚的なヴィジョンとして描き出し、日々、それを強く念じていると、まったく思いもかけないような方法で実現されていく。
問題はそれを用いる人の心が正しいかどうかであり、ここがいちばん重要な点です。間違った自己実現は、地獄行きの特急列車の指定席を予約するようなもの。
正しい自己実現のための3つの基準
1、その自己実現によって、自分だけでなく、周りの人々、世の人々をも幸せにできるか。
2、その自己実現が達成されることによって、他人を不幸にすることはないか。
3、その自己実現達成によって、自らの人格を高めることができるか。
人々に対する愛念を持って、日々生きるとき、自己実現によって、調和とやすらぎの世界が開ける。
|
愛の架橋
人間がこの地上に生まれて来るということは、人間としてしっかり修行して、自分を磨き、自己の向上、進歩を図るというところに、その真の目的があるのです。
より大きな自己実現をした人ほど、より多くの愛を持った人でなければならない。
愛する愛から生かす愛へ、許す愛へ、存在の愛へと自己実現と共に愛の段階に発展があるかどうかを確認する必要がある。
|
|
人生の奇蹟
あなたがたの目の鱗が落ちる瞬間が人生の奇蹟の瞬間。
近眼になれば眼鏡を求めるのに、人生の目的やあの世の世界が見えないことには平然としていられるのは、どういうことなのか。
脳死は人の死ではなく、魂が肉体を抜けたときが死です。
医者は魂の尊厳を肯定し、僧侶は人生の目的と使命を教える。
それが死に際しての仕事です。
生きている人が手本となって明るく楽しい生活を実践してみせ、徳の力、悟りの光でもって、死者にその人生の誤りを気付かせてあげることが大切です。
裁判官にしても、検事にしても、あるいは弁護士にしても、正しい真理を学んで職業に従事せよということです。
|
正しき職業観
間違った宗教に身を投じて、家庭の幸福、財産、健康、心の尊厳を失っていくくらいならば、むしろ、正しき職業観を持って、立派な人生を歩んでいくことこそが、人間として賢明な生き方だと言えるのではないかと思っております。
各人がそれぞれの職業のなかで、最先端をきわめて、しかも世の人々に役立つ生き方をすることは、仏の御心に適した、また真理の実践活動でもあるのです。
ですから、あの世がどうしても信じられないという人や、宗教と聞いただけで鳥肌が立つという人でも、真理に則った生き方はできるのです。
|
栄光のゴールへ
人間がすべて過去世の記憶を忘れてしまうことは、各人の魂修行を平等のスタートラインから始めさせるための仏の配慮なのです。
同じスタートラインから始め、やがては指導者となる。そういう人であって初めて、すぐれた指導者といえるのではないでしょうか。
栄光のゴールに到達するために、もっとも大切なことは、努力なのです。努力なくして偉人になるということは、まず、ありえないと考えるべきなのです。
人間の偉大さは、その心の広さであり、その志の高さにあります。そして、そのためにこそ、さまざまな人生経験があるのです。
あなたがたがこの地上で目標とすべき生き方は、いかに仏の側近き人間になるかということなのです。
自分の生まれ育った環境、教育、思想、信条、習慣、能力、才能に応じて、違った像になっていくのです。仏近きさまざまな人間像があってこそほんものだと言えるのです。
|
|
不死と永遠
人間は、なぜ、欲というものに振り回されてゆくのか。
腫の保存欲、地位欲、名誉欲、金銭欲、これらは不死への願い。
不死性への願いは個人を離れても集団のなかに生き続け、私企業という経済の単位、国家という政治の単位のなかに、不死性を追求してやまない。
人間は不死性を一度として手に入れることはできなかったが、よく似て、本質が異なっているものがある。すなわち「永遠」です。
永遠とは、真理のなかに生き続ける人間の姿。
永遠の時間のなかにあり、永遠の今を生きる。永遠の転生輪廻のなかを生き、その魂を磨くために、一時期、この地上に肉体を持つという真実なのです。
|
|
|