心の毒に対する戒め
心の毒に対する戒めは、どこから端を発しているかというと、「自分の本質を知っているか」ということなのです。
あまりにも、自らの心を自分で汚していることを自覚していない。
それを省みよということなのです。
それさえもできないから、できないままわかったつもりでいるから、
慢心や疑心になり、見解が逆になった悪見になったりするのです。
心の修行は心の発展の階段を登っていくようなものです。
その階段の途中で、階段が終わりだと勘違いし、勘違いした心でみた価値観が慢心です。
猜疑心は、自らの本質もわからないがゆえに、他の本質もわからない。
その結果に、判断の基準が混乱していることを指します。
自尊心と慢心が相乗効果を生むようなことは避けねばなりません。
悪見は、そうした現状をそのまま受け入れることができなくて、現実が本来の理想と一致していないことに耐えられなくて、逆に理想のほうを現実に近づけようとする。
そしてさらに、その改変してしまった理想で現実を展開しようとする悲劇です。
愚か者とならない勇気が大切です。