一人っ子の気持ち
>「一人っ子の環境で育った方」についてです。
>言葉にするとどこにでもあることのように思えるのですが、
>それは、「客観的に自分を見ることがうまくできない」とか
>「コミュニケーションがうまく取れない」とか
>「自分の言葉や行動を他の人がどう感じるかという配慮ができない。」などです。
>実際に、こうしたことで苦しんでいることが多いように思えるのですが。
一人っ子の立場からすると、例に挙げてあるようなことは、かなり苦しみになりますね。
コミュニケーション自体にかなりの失敗体験を重ねているでしょう。
「客観的に自分を見ることがうまくできない」のではなく、「客観的に自分を表現することがうまくできない」のです。
そして、誤解されることを重ねるうちに、コミュニケーションにあまり期待しなくなっているのです。
言語障害で差別を受けているのと位置関係は同じです。
その克服には相当な努力が必要です。
一人っ子の場合、幼い頃から大人とばかり接することが多くなってきます。
おそらく、子供でありながら、子供の視点が許されない、大人の視点が要求されている。
そうすると、同じ目線で共感してくれる人が少ないのです。
結局、コミュニケーションは取れないものとして割り切るしかなくなってきます。
経験的にもう、理解されることを期待していないのです。
予想に反して、一人っ子は、「客観的」ということに関しては極めて敏感です。
なぜなら、誤解されないためには「客観的」でなくてはならないからです。
極力客観的でありたいと心がけています。
しかし、双方には「客観的」という定義に違いがあると思います。
「客観的」とは一人っ子にとって、「普遍的」であることという感覚があります。
そこに「理解されること」は含んでいません。
ほとんどの場合、客観的でないのではなく、会話が成立していないのです。
ですからその場合、客観的でないと言われても意味がわかりません。
そう指摘されると大変傷つきます。「また誤解された」と思います。
そうして個別の相手の判断をあてにできなくなっていきます。自己完結型となっていきます。
苦手な個別の他との関係への配慮より、自己確立、教えに対する誠実さ、正しい信仰を優先する傾向があります。
そうした傾向があるので、誤解されたこと、理解されなかったことが多く、それを如何にして克服し、生きていくかが課題ともなっています。
自分の気持ちを伝えきれない人は、その感覚を理解することができると思います。
理解されるかどうかはともかく、最善を尽くすことが、まず大切であると思います。
それが、理解を超える信頼を生むことにつながると思うからです。