愛の実践は愛の思いからはじまる

愛を実践することとは、他の存在の美点を発見する、認めるということです。
心の中において愛を実践することができたら、行動はその証明、結果です。
まずは思いの中で実践することが最優先です。

そして、愛を与えるとは、自分に与える、他に与える、仏や神に与えることです。決して愛を与えてもらうことを愛とはいいません。

思いの中に継続していれば、それが結果としての愛と認められなくとも、いつか何らかのかたちで現れることになるでしょう。
それは自分に対してであるかもしれないし、他に対してかもしれません。
出発点は思いにあります。それを具体的にとするときには他の存在への行為に現れるものでしょう。

-自と他の存在を認める-
人間の存在に思いを巡らしたとき、自分からみると他は自分とは違う存在で、他の存在からみると自分は違う存在でしょう。理性的にだけ考えると単に別個の存在といえるかもしれません。

しかし、私たちは互いに理解して協力していくことができます。
学び合うこともできるし、切磋琢磨していくこともできます。
この同じ個性ではない存在へ自分の価値観から他の価値観へ愛を実践することとはどういうことでしょうか。

それは、自分からみたアプローチと他からみたアプローチがあります。

自分からみると、他の価値観を理解して、その長所に共感すること、それを自分の価値観にも取り入れること。これは新しい智慧となり、他から与えられたことにもなりますし、その智慧は自と他と共通なものであることから、自の発展にも、他の発展にもなります。
それに基づいた思いは、尊敬ともなり、協力にもなりましょう。機会あるごとに具体的に現れてきます。これは、直接的に相手に何かしてあげるということのみを意味してはいません。
心の中に他の存在も認めている。自と他を認めているということです。

他からみると、価値観を受け入れてもらって、自らの思いへの賛同者が出現したことになります。ひとりで成し遂げようとしていたことでも、確証が持てなく思っていても協力者を得て、思いにおいても、行動においても影響力は大きくなっていきます。

もちろん、助言や、激励となって現れてくることもあるでしょう。これらが一般論です。

-智慧を得て、愛を実践する-
出発点が愛にあれば、愛を与え続けていく存在が自分であるとすると、自己の発展さえ、他に対する愛になります。そのときの感謝は、仏、神という存在に対する愛です。

学問や教養を学んで、自らの蓄えとするのも、多くの人々と協力して、仕事を成し遂げていくのも愛です。
自らだけでなく、他の人々に機会を与え、助言を与え、全体の発展に寄与するのも愛です。
身近な方々への愛もあります。互いに補い合うことで、互いに支え合うことで育む、男女の愛、与え、与えられることで互いに愛する、親子の愛

-正義もまた愛-
ただ、認めていくことだけが愛とは限りません。
多くの存在があって、すべてを生かす道を考えたとき、段階として、より多くの愛を与えることとはどういったことかを考える必要があります。

愛の思いから遠ざかっているときは、愛の大切さを説くことも愛のはずです。
根底にある愛が厳しさとして現れることがあります。

悪とは自由と自由の相克です。
その自由がより多くの愛を与えるほうを選び取っていかなくてはなりません。
それは正義です。

正義もまた愛です。




 CU